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福岡市近郊での週刊誌や雑誌の買取


1月 15th, 2014 | Permalink

古い週刊誌や雑誌がごっそりと出てきたらどうしますか?

週刊文春、週刊ポスト、週刊現代、週刊朝日、週刊女性、女性セブン、女性自身…。

いつごろのものか、にもよりますね。

最近のものならやはり古紙回収に出すのが普通。

私でもそうします。

だけど、古い週刊誌だったら…。

山口百恵、

美空ひばり、

長嶋茂雄、

力道山、

田中角栄、

昭和の人名が躍ってるようなら、まずお電話でご相談ください。

ファッション誌でもそうです。

ハマトラ、懐かしいです。

元町、フクゾー、クリスチーヌ、ミハマ、ボートハウス…。

よかばい堂店主にとってはまさに大学時代を思い出すキーワード。

サザン、ユーミン、スキー、サーフィン、JJ。ポパイ…。

この時代の雑誌もいいですね。

個人的にも懐かしいです。

華やかな消費生活を描いた雑誌が多かったですね。

話は少しずれますが、そんな消費生活を皆が満喫していた時代かというと、そうでもないわけです。

消費生活へのあこがれがあったからこそ雑誌が成立していたともいえるわけで、

実際はどうかというと、この手雑誌に出ているような消費生活は手が届きそうだけどちょっとまだ無理、という人も多かったと思います。

いえ、貧乏だからとかそういうことではなく。

話を分かりやすくするため自分の周りの話をしましょう。

1970年代後半から80年代前半は、よかばい堂店主は東京で学生をしていました。

地方出身の学生の生活は食うや食わずとは言わないまでも、風呂なしの四畳半で月2万円ていどが標準的な学生の部屋だったと思います。

クルマに乗ってサーフィンやスキーなんて、親元から通学しているならまだしも、地方から出てきて下宿している学生には手の届かない生活だったはずです。

つまり「ポパイ」のような雑誌を読みつつも、実際は五木寛之の「青春の門」の主人公みたいな、と言えば言い過ぎかな、

少なくともユーミンよりはかぐや姫の四畳半フォーク的な世界に限りなく近い(あるいはどっぷりとそのど真ん中)世界があったわけです。

地方出身者でクルマに乗っていたのは、私が知る限り親が開業医か自営業者というケースがほとんどだった。サラリーマンじゃ学費と生活費送るので精一杯です。

当時(そして多分いまも)東京の大学に子供をやりながら車を買い与えることが可能であるほどの高給を取れるサラリーマンというのは、日本には存在してなかったのでは?

もちろん検証してませんから、間違っているとは思いますが、実感としてはそんなもんでしょう。上場企業の社長だって当時きっと数千万円ぐらいしかもらってなかったんじゃないでしょうか。

昭和の小金持ちとは自営業者か中小企業の社長というのが通り相場だった。

高給取りのサラリーマンが出現しだしたのは、グローバリゼーション以降じゃないでしょうか。

憶測と記憶だけで書いてます。間違ってるかもしれません。

もちろん東京の大学などに行かず地元の大学に入っていれば親父のクルマを乗り回して、バイトに精を出せばサーフィンぐらいいくらでもできたと思います。

だからこそ、身近な消費生活の提案としてそんな雑誌がたくさん売れていたのでしょう。

そのへんが、混在していたのが70年後半から80年代にかけての時代の風景だったと思います。

だから実際はまだ「四畳半フォーク」の世界がしっかりと残っていた。

かたやサザンやユーミンを聞き「サーフ&スノウ」にあこがれながらも、下宿に戻れば「小さな石鹸カタカタ鳴」らせながら銭湯に通ってたわけです。

それより数年遡りますが、アンノン族と揶揄された頃の「アンアン」「ノンノ」などの女性誌もいいですね。

ディスカバージャパン、遠くへ行きたい、あたりとかぶります。

「遠くへ行きたい」はたしか日曜日の朝やってた番組のテーマ曲だったような気が。

永六輔が案内役で日本のあちこちを旅する番組。

で、スポンサーが国鉄。

山口百恵の「いい日旅立ち」も国鉄のキャンペーンソングだったと思う。

まあ、この辺はウィキペディアをみれば確認できるのかもしれないけど、無視して記憶だけで書き進めます。

今にして思うともういまは無い独特の雰囲気があった。

国鉄はすでに存在しなくなって長いし、永六輔も最近はとんと見ないのだから当然。

山口百恵ももちろん見ない。

国鉄は民営化され、JR北海道は今朝のニュースにもなっていました。

音楽はたくろう、陽水、チューリップ、それに歌謡曲。

西暦では1970年代から80年代にかけて。

その頃の雑誌が出てきたら、よかばい堂に教えてください。

もちろんそれより前の時代も大歓迎!

こんな雑誌が出てきたらぜひご相談ください。

喜んで駆けつけます。

092-408-4208

売れた本 『パパとママの娘―女子高校生のアメリカからの手紙』 (1961年) (カッパ・ブックス) 出版社: 光文社 (1961)


1月 8th, 2013 | Permalink

よかばい堂店主は福岡の月刊誌「フォーNET」に「せどり屋雑記帖」と題する古本にまつわるコラムを連載中です。

毎月2冊弊店で取り扱ったプレミア本を紹介しています。

 

同誌のご厚意により過去の掲載分を転載させていただきます。
月刊フォーNET」2012年8月号掲載分(その1)

 

パパとママの娘―女子高校生のアメリカからの手紙 (1961年) (カッパ・ブックス)

出版社: 光文社 (1961)

昭和の明るさがぎっしり詰まっているかのようなタイトルや表紙カバー。1961年といえば、東京タワーも完成し次はオリンピックという頃。巷にはハイテンションな気分が横溢していたのかもしれない。

著者は高校から3年間アメリカで過ごした。その間ほぼ毎週東京の両親に宛て手紙を書いており、それがこの本の元になっている。タイトルのパパとママというのは、アメリカでの受け入れ家族でもあり、東京に住む実の両親のことでもある。
親の愛情に包まれた好奇心いっぱいのお嬢さんの私信をそのまま本にしてしまったのも時代の持つエネルギーか。
私信だから固有名詞が頻出する。クラスメートも実名で登場し、それぞれ「雙葉でのクラスメート」「東大教授○○氏の娘さん」「作家石川○○さんの長女」などと注記がある。これだけ拾って読むのも面白い。「森川宗治氏 父の会社に勤務している方」とある。誰か有名な人かと思い本文に当たると、アメリカで運転が上手くなったので「帰ったら、ぜひ森川さんにお願いして、運転させていただきたいわ」とある。会社の運転手さんも実名で登場するのだ。
お隣さんまでフルネームで出てくる。今ではありえない。個人情報などいう言葉の無い、というよりも名前が出ることをみんな喜んでいたような気配すら漂う。牧歌的な時代の産物だ。

同コラムの過去の連載分は以下のブログでご覧いただけます。

http://d.hatena.ne.jp/yokabaido3/

 

なお、本文中では字数の関係で触れませんでしたが、カバーデザインは横尾忠則・宇野亜喜良という豪華な布陣。

さらに雙葉の後輩として出てくる西村亜希子さんとは後の長嶋茂雄夫人だそうです。

また、徳田浩子さんとして名前が出て来る女性は、のちにアメリカの文豪ヘンリー・ミラー夫人となったホキ徳田です。

2014.7.31追記
この本は復刊ドットコムでも復刊リクエストが入っています。
いずれも熱い書き込みがされています。
そのひとつで知ったのですが、宝塚で「青春のバカンス」というタイトルで舞台化されていたんですね。
1963年の作品のようです。

 

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