去年一度買取をしたお宅から再度電話をもらい行ってきました。
今日の収穫は雑誌「実話時代」大量200冊程と、野球カードなど。
美空ひばりのサイン入りプロマイドもありました。
3月 16th, 2022 | Permalink
去年一度買取をしたお宅から再度電話をもらい行ってきました。
今日の収穫は雑誌「実話時代」大量200冊程と、野球カードなど。
美空ひばりのサイン入りプロマイドもありました。
5月 24th, 2015 | Permalink
2015年5月23日
先日中央区の方からお電話をいただきました。
英語の学習書や楽譜は買い取れるかとお尋ね。
結論を言うとどちらも買えるもの買えないものがあります。
どこで見分けるかというと、出版社やタイトルから類推します。
でも手元に本が無い電話ではどうするか?
結局丁寧にお話を聞くしかない。
話をしているうちに少しずつわかってきます。
まず、その本を読んだのがご本人かどうか。
もしそうならさらに詳しくお尋ねします。
ここで著者名がすらっと出てくる人の蔵書には興味をひかれます。
なぜか?
特定の著者に影響を受けるほどある分野に力を入れた人は、それなりの蔵書を揃えていることが多いからです。
これが家族の蔵書の場合は違います。
失礼にならない範囲で「(そのご家族が)お仕事でお読みになった本ですか?」などと尋ねます。
すると、英語の教師をしていた父の本だとか、キルティングが趣味の姉の本だとかお話ししてくれることがあります。
ここまでわかると大きな手がかりです。
で、今回は電話での感触が良かったのですぐに参上したところ、予想通り。
英語の本も英検一級レベルの高度な本が多く、いい買取ができました。
査定しながらお話しているとさらに別の本やCDもお持ち下さり予想外のものまで買わせていただきました。
たとえばこんなの。
山口百恵や浅丘ルリ子のCD。
山口さんの「哀愁のコニーアイランド」はオリジナルとは違うバージョンですね。
大滝詠一ファンとしてはちょっと得した気分になるのでは?
本やCDレコードの整理の際はご相談ください。
意外なものに意外な値段が付くことがあります。
ご実家の整理で出てきた物も捨てる前にまずご相談ください。
よかばい堂
092-408-4208
春日市桜ケ丘1-45
1月 27th, 2014 | Permalink
今日は日曜日。
弊店はいまのところ(2014年1月現在)定休日なしで頑張っております。
すると古賀市から買い取り依頼のお電話。
休みの日に家の中の整理をしていて本を売ろうと思う方は多いです。
この方もそうだったのかもしれません。
よかばい堂から古賀市へは博多バイパスを使い香椎に出て、あとは和白・新宮経由で行きます。
昭和の雑誌があるので買ってくれないかとのご相談。
善は急げで、その日のうちに行ってきました。
こんな雑誌を買わせていただきました。
こうやって見るとなかなか壮観。
1970年代前半の平凡と明星が中心。
週刊テレビガイドや週刊明星も数冊混じっています。
また付録のソングブック(歌本)もかなり残っていました。
表紙には昭和のアイドル揃い踏み状態。
天地真理、小柳ルミ子、南沙織のナベプロ三人娘。
野口五郎、西城秀樹、郷ひろみの新御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が元祖の御三家)。
さらにはホリプロから桜田淳子、山口百恵が、香港からはアグネスチャンが参戦してきます。
中の記事を読みだすときりがありません。
さきほど見つけて気になったのは森田健作と沖雅也の対談。
ここでご紹介しようと思ったけど、本の山に埋もれてしまいどこにあるか分からなくなりました。
でも、今となっては対照的とも言える二人の対談、気になるので、またいずれ出てきたらご紹介しましょう。
森田健作はいまや千葉県知事。「青春の巨匠」と半ば揶揄を込めて呼ばれていた時期もあります。
片や沖雅也は京王プラザホテルから投身自殺。
しかも遺書は同性愛の相手へ向けたもので、そこに書かれた「おやじ、涅槃で待つ」が一時話題に。
いまでも涅槃という言葉を聞くと沖雅也を思い出す人は私ぐらいの年代だと多いと思います。
ウィキペディアによれば沖雅也は老醜をさらしたくないから30歳過ぎたら生きていたくない、というようなことを若いころから周囲に話していたらしい。
享年31歳。
そんな沖と警察官の息子で「青春の巨匠」である森田とが対談で何を話したのか気になります。
「君ぃ~、そんなことでいいのかぁ~」といきなり説教モード全開になってるんじゃないかと思うけどどうでしょう。
それとも沖が本心をひた隠しに隠しつつ森田の青春全開モードに話を合わせるのか。
興味津々。
というわけで、この程度の分量の本があれば、福岡市近郊でも喜んで参上します。
もちろん切り抜きが無く、付録がすべて揃っているものがベストですが、そうでなくても構いません。
まずはお電話でご相談ください。
古書よかばい堂
092-408-4208
090-3664-6867(携帯)
まで。
追記2014.2.9
見つかりました!
森田健作と沖雅也の対談。
「平凡」1972年8月号。表紙は野口五郎と小柳ルミ子。
それにしても当時は八重歯はチャームポイントと捉えられていました。
隠しだても矯正もしなかった。
ではルミ子ちゃんの見事な八重歯をどうぞ!
たぶんご本人も今は矯正されていることと思います。
あれは多分アメリカ人の美意識が輸入されたんじゃないでしょうかね。
ローティーンが矯正器具(ブリッジ)をしていてキスがうまくできない、なんてシーンをアメリカ映画で何度か見たような気がします。
でも、こないだyoutubeを見ていたらフランスの60年代のアイドル、シルビー・バルタンさんもデビューしたての頃は見事な隙っ歯だったことをしりました。まあ、どこの国も多少の歯の凸凹には鷹揚に構えていたのではないでしょうか。
話を戻すと、森田・沖対談。
これです。
「男同士、キビシク生きなくっちゃ」は森田健作の口から吹き出しが出てます。
実際に彼が言ったセリフかどうかはわからないけど、どっちかといえば彼が言いそうなセリフではあります。
沖雅也は1952年6月生まれだから当時二十歳になるかならないかの頃。
森田健作は1949年だから既に23歳前後。
35点とか13点とか見出しにあるのは、自分たちの歌を100点満点で自己採点した点数。
沖雅也が「おれたち2人は、自分にきびしい人間の代表みたいなもんだ」と言ってるのが興味深い。
ウィキペディアによればこの頃からすでに30歳過ぎて老醜はさらしたくないと言っていたというから、理想が高いというか見果てぬ夢というか。
女の子と高原をデートしていた夢を見たという沖雅也。
それにしても案外気軽にため口に近いしゃべり方なんですね。
森田健作は、このての長幼の序については極めてうるさそうな感じがしたのでちょっと意外。
昔はあまりうるさくなかったのかなあ。
1月 15th, 2014 | Permalink
古い週刊誌や雑誌がごっそりと出てきたらどうしますか?
週刊文春、週刊ポスト、週刊現代、週刊朝日、週刊女性、女性セブン、女性自身…。
いつごろのものか、にもよりますね。
最近のものならやはり古紙回収に出すのが普通。
私でもそうします。
だけど、古い週刊誌だったら…。
山口百恵、
美空ひばり、
長嶋茂雄、
力道山、
田中角栄、
昭和の人名が躍ってるようなら、まずお電話でご相談ください。
ファッション誌でもそうです。
ハマトラ、懐かしいです。
元町、フクゾー、クリスチーヌ、ミハマ、ボートハウス…。
よかばい堂店主にとってはまさに大学時代を思い出すキーワード。
サザン、ユーミン、スキー、サーフィン、JJ。ポパイ…。
この時代の雑誌もいいですね。
個人的にも懐かしいです。
華やかな消費生活を描いた雑誌が多かったですね。
話は少しずれますが、そんな消費生活を皆が満喫していた時代かというと、そうでもないわけです。
消費生活へのあこがれがあったからこそ雑誌が成立していたともいえるわけで、
実際はどうかというと、この手雑誌に出ているような消費生活は手が届きそうだけどちょっとまだ無理、という人も多かったと思います。
いえ、貧乏だからとかそういうことではなく。
話を分かりやすくするため自分の周りの話をしましょう。
1970年代後半から80年代前半は、よかばい堂店主は東京で学生をしていました。
地方出身の学生の生活は食うや食わずとは言わないまでも、風呂なしの四畳半で月2万円ていどが標準的な学生の部屋だったと思います。
クルマに乗ってサーフィンやスキーなんて、親元から通学しているならまだしも、地方から出てきて下宿している学生には手の届かない生活だったはずです。
つまり「ポパイ」のような雑誌を読みつつも、実際は五木寛之の「青春の門」の主人公みたいな、と言えば言い過ぎかな、
少なくともユーミンよりはかぐや姫の四畳半フォーク的な世界に限りなく近い(あるいはどっぷりとそのど真ん中)世界があったわけです。
地方出身者でクルマに乗っていたのは、私が知る限り親が開業医か自営業者というケースがほとんどだった。サラリーマンじゃ学費と生活費送るので精一杯です。
当時(そして多分いまも)東京の大学に子供をやりながら車を買い与えることが可能であるほどの高給を取れるサラリーマンというのは、日本には存在してなかったのでは?
もちろん検証してませんから、間違っているとは思いますが、実感としてはそんなもんでしょう。上場企業の社長だって当時きっと数千万円ぐらいしかもらってなかったんじゃないでしょうか。
昭和の小金持ちとは自営業者か中小企業の社長というのが通り相場だった。
高給取りのサラリーマンが出現しだしたのは、グローバリゼーション以降じゃないでしょうか。
憶測と記憶だけで書いてます。間違ってるかもしれません。
もちろん東京の大学などに行かず地元の大学に入っていれば親父のクルマを乗り回して、バイトに精を出せばサーフィンぐらいいくらでもできたと思います。
だからこそ、身近な消費生活の提案としてそんな雑誌がたくさん売れていたのでしょう。
そのへんが、混在していたのが70年後半から80年代にかけての時代の風景だったと思います。
だから実際はまだ「四畳半フォーク」の世界がしっかりと残っていた。
かたやサザンやユーミンを聞き「サーフ&スノウ」にあこがれながらも、下宿に戻れば「小さな石鹸カタカタ鳴」らせながら銭湯に通ってたわけです。
それより数年遡りますが、アンノン族と揶揄された頃の「アンアン」「ノンノ」などの女性誌もいいですね。
ディスカバージャパン、遠くへ行きたい、あたりとかぶります。
「遠くへ行きたい」はたしか日曜日の朝やってた番組のテーマ曲だったような気が。
永六輔が案内役で日本のあちこちを旅する番組。
で、スポンサーが国鉄。
山口百恵の「いい日旅立ち」も国鉄のキャンペーンソングだったと思う。
まあ、この辺はウィキペディアをみれば確認できるのかもしれないけど、無視して記憶だけで書き進めます。
今にして思うともういまは無い独特の雰囲気があった。
国鉄はすでに存在しなくなって長いし、永六輔も最近はとんと見ないのだから当然。
山口百恵ももちろん見ない。
国鉄は民営化され、JR北海道は今朝のニュースにもなっていました。
音楽はたくろう、陽水、チューリップ、それに歌謡曲。
西暦では1970年代から80年代にかけて。
その頃の雑誌が出てきたら、よかばい堂に教えてください。
もちろんそれより前の時代も大歓迎!
こんな雑誌が出てきたらぜひご相談ください。
喜んで駆けつけます。
092-408-4208