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マリリン・モンローと福岡


10月 30th, 2017 | Permalink

2017.10.30

こんなことは古本屋の仕事ではないとは思うのだが、もう年寄しか語る者がいなくなりつつあるので、知っていることをぽつぽつ書いてみようと思う。

私自身きちんとした取材をしたわけでもなく、聞きかじりの情報や拾い読みした本の情報の記憶から書いているので、かなりの確率で事実誤認が混じっていると思う。

なのでお気づきの方がいらっしゃればご指摘いただければ幸いです。

マリリン・モンローが福岡に来たことがあると言うと驚く人がいるかもしれない。

彼女はまだ新人女優の頃にニューヨークヤンキースのスター選手ジョー・ディマジオと結婚し二人で日本にやってきた。

といっても新婚旅行に日本を選んだわけではない。

ディマジオが日本側(おそらく読売新聞社やジャイアンツや日本プロ野球機構あたりか)からの招待を受けて日本人に野球を教えに来たというのが本当のところらしい。

一度調べたことがあるが、当時のモンローはまだハリウッドでの出演作が数本しかなかったはずで、のちの代表作となる映画のほとんどにはまだ出演してなかったはずだ。

この程度はネットでググればすぐわかるので、ちょっと引用しておく。

モンローの来日の年:1954年2月

代表作と製作年:1953年「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」

1954年「帰らざる河」「ショウほど素敵な商売はない」

1955年「七年目の浮気」

1956年「バス停留所」

1959年「お熱いのがお好き」

つまり、まだ主役としては3本の映画しか知られていない頃に来日している。

いっぽうディマジオはすでに40歳で野球人としての知名度ははるかに高かったようだ。

福岡に来たふたりは「国際ホテル」に泊まった。

私はてっきり「日活ホテル」に泊まったと思っていたが、ネット情報では「国際ホテル」となっている記事が多い。

一度きちんと調べてみたいと思っている。

けっこうこの辺は情報が錯綜していて、私よりも年配者でも「帝国ホテル(当時は福岡にも呉服町に帝国ホテルがあった)に泊まった」という人がいるぐらいだから、

このへんはきちんと調べたいと思っている。ちなみに彼らは東京では帝国ホテルに泊まっている。

きちんと調べるには文献にあたってみたい。

まずは福岡市中央図書館にでも行き当時の新聞記事を確認してみたいところだ。

隠居したらじっくりやってみたいと思っていたのだが、気づいたら還暦が目前に迫っている。もう時間がない!

福岡の米軍とはどこにあったのかも確認すべきだろう。

板付と雁ノ巣に米軍がいたことは漠然とした記憶にはあるが、モンローはいったいそのどこに行ったのか?

何時間ぐらいいて、誰と会い(当然米軍関係者だろう)、何を食べ、どこでもてなされたのか?

海の中道海浜公園の中で素晴らしい砂浜の景観を一望にできるシーサイドヒルシオヤという建物がある。

あまり知られていないが、機会があればぜひ一度ここからの景観を見ていただきたい。

福岡市内でもっとも素晴らしい景観のひとつではないだろうか。

20年以上前に東区の不動産屋から聞いたのだが、雁ノ巣に米軍がいたころに彼らがこの建物を建てたらしい。

彼によると将校用のゲストハウスだったらしい。

これも私の聞きかじりの記憶なのでどこまで正確かはわからない。

もしもモンローが雁ノ巣にも訪問したなら、きっとこの将校用ゲストハウスに来たに違いない。

もしもこの憶測が当たっていればきっとあの景観を目にしたはずだ。

そのとき彼女はどんな感想を述べたのだろうか?

この点はぜひ確認してみたいところだ。

どこの文献に当たればいいかだが、米軍の記録で公開されているものに頼るしかないだろう。

アメリカのペンタゴンにでも行き情報公開請求をすればいいのだろうか?

ただ、モンローが福岡に来て誰とどこで会ったかぐらいなら、アメリカまで行かなくても日本国内でもわからないでもなさそうだ。

米軍の新聞に「星条旗新聞」”Stars and Stripes”という新聞がある。

まずはこの新聞の当時のものを見るのが第一歩だろう。

東京に行けば星条旗新聞社があるから、そこに聞いてみるのがいいだろう。

とうわけでひそかに老後の楽しみとしていたのだが、今日福岡のとある民放から電話をもらい、

私が書いたツイッターを頼りに情報提供を願い出て来た。

残念ながら私には出せるものはないが、上記の情報を提供した。

もしかすると福岡でのマリリン・モンローの足跡をたどる番組ができるかもしれない。

自分で調べようと思っていたが、なかなか進まないのでテレビ番組に頑張っていただきたい。

期待しています。

2019.2.10(追記)

いつだったかテレビを見ていて驚いたことがある。

大濠公園にある「レストラン花の木」を取材したローカル番組だった。

レポーターの若い女子と店員がモンローの話をしている。

店にはモンローが座ったとされるテーブルがいまでも残っており、レポーターがその椅子に座り、

「モンローはこの景色を見たんですね」というようなことを言う。

花の木の店員(マネージャー?)はそれをにこやかに見つめている。

という内容だった。

すでに書いたようにモンローが来店した当時のレストラン花の木は中洲にあった。

当然彼女がみた景色は大濠公園ではなく那珂川の景色だ。

花の木が大濠公園に移ったのはその㏋によると1989年(平成元年)、モンローの来店の35年後だ。

こういうことは我々年寄りにはすぐに間違いだとわかるのだが、若いとわからないのだろう。

 

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