古い週刊誌や雑誌がごっそりと出てきたらどうしますか?
週刊文春、週刊ポスト、週刊現代、週刊朝日、週刊女性、女性セブン、女性自身…。
いつごろのものか、にもよりますね。
最近のものならやはり古紙回収に出すのが普通。
私でもそうします。
だけど、古い週刊誌だったら…。
山口百恵、
美空ひばり、
長嶋茂雄、
力道山、
田中角栄、
昭和の人名が躍ってるようなら、まずお電話でご相談ください。
ファッション誌でもそうです。
ハマトラ、懐かしいです。
元町、フクゾー、クリスチーヌ、ミハマ、ボートハウス…。
よかばい堂店主にとってはまさに大学時代を思い出すキーワード。
サザン、ユーミン、スキー、サーフィン、JJ。ポパイ…。
この時代の雑誌もいいですね。
個人的にも懐かしいです。
華やかな消費生活を描いた雑誌が多かったですね。
話は少しずれますが、そんな消費生活を皆が満喫していた時代かというと、そうでもないわけです。
消費生活へのあこがれがあったからこそ雑誌が成立していたともいえるわけで、
実際はどうかというと、この手雑誌に出ているような消費生活は手が届きそうだけどちょっとまだ無理、という人も多かったと思います。
いえ、貧乏だからとかそういうことではなく。
話を分かりやすくするため自分の周りの話をしましょう。
1970年代後半から80年代前半は、よかばい堂店主は東京で学生をしていました。
地方出身の学生の生活は食うや食わずとは言わないまでも、風呂なしの四畳半で月2万円ていどが標準的な学生の部屋だったと思います。
クルマに乗ってサーフィンやスキーなんて、親元から通学しているならまだしも、地方から出てきて下宿している学生には手の届かない生活だったはずです。
つまり「ポパイ」のような雑誌を読みつつも、実際は五木寛之の「青春の門」の主人公みたいな、と言えば言い過ぎかな、
少なくともユーミンよりはかぐや姫の四畳半フォーク的な世界に限りなく近い(あるいはどっぷりとそのど真ん中)世界があったわけです。
地方出身者でクルマに乗っていたのは、私が知る限り親が開業医か自営業者というケースがほとんどだった。サラリーマンじゃ学費と生活費送るので精一杯です。
当時(そして多分いまも)東京の大学に子供をやりながら車を買い与えることが可能であるほどの高給を取れるサラリーマンというのは、日本には存在してなかったのでは?
もちろん検証してませんから、間違っているとは思いますが、実感としてはそんなもんでしょう。上場企業の社長だって当時きっと数千万円ぐらいしかもらってなかったんじゃないでしょうか。
昭和の小金持ちとは自営業者か中小企業の社長というのが通り相場だった。
高給取りのサラリーマンが出現しだしたのは、グローバリゼーション以降じゃないでしょうか。
憶測と記憶だけで書いてます。間違ってるかもしれません。
もちろん東京の大学などに行かず地元の大学に入っていれば親父のクルマを乗り回して、バイトに精を出せばサーフィンぐらいいくらでもできたと思います。
だからこそ、身近な消費生活の提案としてそんな雑誌がたくさん売れていたのでしょう。
そのへんが、混在していたのが70年後半から80年代にかけての時代の風景だったと思います。
だから実際はまだ「四畳半フォーク」の世界がしっかりと残っていた。
かたやサザンやユーミンを聞き「サーフ&スノウ」にあこがれながらも、下宿に戻れば「小さな石鹸カタカタ鳴」らせながら銭湯に通ってたわけです。
それより数年遡りますが、アンノン族と揶揄された頃の「アンアン」「ノンノ」などの女性誌もいいですね。
ディスカバージャパン、遠くへ行きたい、あたりとかぶります。
「遠くへ行きたい」はたしか日曜日の朝やってた番組のテーマ曲だったような気が。
永六輔が案内役で日本のあちこちを旅する番組。
で、スポンサーが国鉄。
山口百恵の「いい日旅立ち」も国鉄のキャンペーンソングだったと思う。
まあ、この辺はウィキペディアをみれば確認できるのかもしれないけど、無視して記憶だけで書き進めます。
今にして思うともういまは無い独特の雰囲気があった。
国鉄はすでに存在しなくなって長いし、永六輔も最近はとんと見ないのだから当然。
山口百恵ももちろん見ない。
国鉄は民営化され、JR北海道は今朝のニュースにもなっていました。
音楽はたくろう、陽水、チューリップ、それに歌謡曲。
西暦では1970年代から80年代にかけて。
その頃の雑誌が出てきたら、よかばい堂に教えてください。
もちろんそれより前の時代も大歓迎!
こんな雑誌が出てきたらぜひご相談ください。
喜んで駆けつけます。
092-408-4208