モンローの福岡での話の続き。
彼女がロイヤル花の木でオニオン・グラタンを気に入ったという話はよく耳にする。
ただ、当時は大濠公園にはなかった。
「花の木」は現在の「博多エクセルホテル東急」の場所にあった。
実はよかばい堂店主も子供の頃親に連れられて2度ほど行ったことがある。
今から50年近く前のことだと思う。
花の木はロイヤルの旗艦店だ。
当時は花の木と言わずとも「ロイヤル」というだけでちょっとよそ行き気分で行くレストランだった。
たしか新天町とか「西鉄グランドホテル」の正面(今の「まんだらけ」のあたり)にもあった。
ロイヤルホストというファミレス展開はしていなかった時代だと思う。
さてその花の木だが、驚いたのは店に入って案内される場所が、メニューを見るためだけの部屋というかコーナーだということだ。
つまりそこでは食事はしない。
大人たちは食前酒を飲んでいたのかもしれないが、メニューを見てウェイターの説明を聞きながら注文をする。
ほどなくしてテーブルのセッティングが終わるとおもむろに二階のテーブルに案内されるという寸法だった。
レストラン花の木のHPを見たら、当時の中洲店について「一階は喫茶、二階でフランス料理を提供し」とあるから、
あれは1階の喫茶だったことをいま知った。当時は子供だったので、メニューを見るための部屋があると思っていた。
二階からは目の前に那珂川が見えたことと、タンバル・エリーゼというデザートがうまかったのを覚えている。
先日テレビを見ていたら大濠公園の花の木に行った取材クルーが、「モンローはここに座ったんですね」というと「はい」と店員が答えていた。
モンローが座った椅子が残っているので、その椅子に座ったという意味ではたしかにそうだが、彼女が見た景色は大濠公園ではなく那珂川だった。
こういうことは年寄りが証言(?)しておかないとだんだん忘れられたり、勘違いが流通しそうなので書いておくことにする。
レストラン花の木のHPを見たら、古い中洲にあった店舗の写真が掲載されている。
モンローが来店したのは開店から3カ月のことだったとも書いてあった。
さて、モンローが使用したナプキンをいまだに保管している人がいるという話を聞いたことがある。
市内にあるとあるレストランのオーナーから聞いた。
というのも彼が若いころ花の木にいたと聞いたからだ。
「モンローには会いましたか?」と尋ねたら、
「いいえ私が入社したのは彼女の来店の後でした。でも先輩で彼女の給仕をした人は今でもその時彼女が使ったナプキンを持っていますよ」
ということだった。
これはすごい。文化財だ。福岡市博物館はぜひ買い上げてください。いやロイヤルさんでもいい。
こういうものは貴重です。