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月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 10月号


10月 30th, 2024 | Permalink

「ムードミュージック」は死語なのか?の巻

 

 ムードミュージックという音楽ジャンルをご存じだろうか?

 今や誰も見向きもしなくなった前世紀の遺物。そのネーミング自体もあまりのダサさからか、ある時期からイージーリスニングなどと呼ばれるようになった。デパートやホテルでBGMとして流れる、あの毒にも薬にもない音楽。

 さて、私の手元にはいま『僕らのヒットパレード』という本がある。片岡義男と小西康陽の共著だ。この親子ほどの年の離れたふたり(片岡は1939年生、小西は1959年生)が音楽について語り合うのだが、それがジャズでもロックでもなくなんとそのムードミュージックについてなのである。ポピュラー音楽を語らせれば当代きってのふたりが、よりによってムードミュージックについて語るのだ。面白くないはずがない。

 片岡義男という作家は、アメリカのポップカルチャーやその音楽に詳しい。小西康陽はピチカートファイブという音楽ユニットのリーダーでDJでもあり、オタク的にロックや歌謡曲はもちろんポップミュージック全般に極めて詳しい。その二人が好きな音楽について文を書き、対談したものをまとめた一冊だ。

 ロックンロール以前はシナトラやドリス・デイなどの歌手もいたが、ビッグバンドやオーケストラによるボーカルのないインストルメンタルもポピュラーミュージックの主流のひとつをなしていた。そこにアメリカの才能が集結していたと片岡は言う。おお、やはりそうなんだ、そりゃそうだよな、と中学生時代にムードミュージックにかぶれた黒歴史を持つ私は大いに同意する。コール・ポーター、ビクター・ヤング、ホーギー・カーマイケル、アーヴィング・バーリンなどの名前は、ロックンロール以前のヒット曲を作った才能たちだ。

 当時の我が家にもご多分に漏れずオーディオセットがあり、父のレコードのうちクラシックと邦楽を除くと、大半はロックンロール以前のムードミュージックや映画音楽だった。彼らは世代的にロックンロールに馴染みがなかったからだ。我々世代がラップになじまず、いまだにユーミン、サザンを聴いているのと同じか。

 身近にある音楽といえば学校の唱歌とテレビから流れてくる歌謡曲だけだった子どもが、音の出るステレオという機械が気になってレコードをかけてみて、新たな音楽の世界にめざめるというのは、当時よくある話だったのだろう。

 するとどうしても親の音楽の影響を受けてしまうのだが、これが年長の兄弟姉妹がいるとそちらの影響を受ける。わが世代だと、ビートルズはむろんピンクフロイドやレッドツェッペリンにイカれたマセガキは、だいたい兄か姉がいたように思う。兄姉がおらず直接親の影響を受けると、ひと世代上のムードミュージック、映画音楽、ラテン音楽などとなってしまうのだ。

 高校の頃、同級生に「キミ、ビートルズが好きなの?オレはクリームが最高だと思う。やっぱクラプトンだわ」なんていうヤツがいた。小馬鹿にした態度は気に食わないのだが、知らないミュージシャンの名前を出されると、自分には修業が足りないという気になった。そのうち勝手に「クラプトンなど>ビートルズ>その他洋楽(含むムードミュージック)>歌謡曲」といったポピュラー音楽のヒエラルキーを勝手に内面化していたのである。

 だがこの本には、そんな思い込みを軽妙に乗り越えていく力がある。いまさらながらありがたく啓蒙された。

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 9月号


9月 30th, 2024 | Permalink

 よかばい堂、セレンディピティを経験するの巻

 一度書いたことがあるが、福岡出身の作家のブレイディみかこさんの高校時代の恩師がF先生という方で、私も高校時代にその先生に習ったことがあった。

 先日店の売り物の『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』という彼女の著作を読んでたら、面白すぎてまさに巻措くを能わず、開店時間まで一気に半分読んでしまった。

 そういえばF先生のことがどっかに書かれてたなと思いネット検索してみると意外なことが判明した。F先生はなんと哲学者の滝沢克己のご子息であったとか。その人の本ならたしか店にも数冊あったはずだ、あとで探してみようと思い、後ろ髪をひかれつつ本を閉じ店に向かった。

 すると開店前から店の前でお待ちのお客様。あわてて開店して招き入れるとなんとその滝沢克己の本をお買い上げになった。なんたる偶然! もちろんそのお客さんとはその話をしましたよ。なぜ父親が滝沢なのにその息子であるF先生の苗字が違うのか、などなど。

 偶然の一致で思い出すことがもうひとつ。

 吉田博という福岡出身の木版画家がいる。戦前に活躍した風景画の版画家だ。久留米出身で修猷館を卒業している。恥ずかしながら私は知らなかったのだが、うちに本を買いに来た同級生のO君がその名前を教えてくれたのだった。戦前から日本よりも海外で活躍していたらしく、故ダイアナ妃も彼のファンだったとかで、背景に吉田博の版画をかけた彼女の写真がある。ご興味おありの方はネット検索してみてください。すぐに出てきます。

 その同級生から「吉田博の版画や絵が手に入ったら教えてね」と言われたので、その名を記憶に留めておかなければならないな、しかしすぐに忘れそうだなと思っていた矢先、なんと翌日にその吉田博の直筆画を買うことになったのだ。

 美術関係の本を売りたいという人の家に買い取りにいったら、大量の美術本とともに数枚の絵を見せられた。彼曰く「これは吉田博の直筆なんです」。なんたる偶然!きのう仕込んだばかりの知識がさっそく役に立った。先方は何と言っても美術関係で生計を立てておられる方。福岡の古本屋なら吉田博の名前ぐらい知っておいてしかるべきだときっと思っているにちがいない。前日までの私なら、「さあ」とか「へえ」とか言って誤魔化すしかなかったが、その日の私は違う。なんなって前日覚えたての知識がある。久留米出身、修猷館卒、ダイアナ妃のお気に入りなど、仕入れたての知識を披露したら、あながち無知な古本屋でもなさそうだと思ってくださったのだろう、こちらの見立てた金額で売ってくださった。

 翌日、意気揚々と同級生のO君に電話して「吉田博がさっそく手に入ったよ」と報告。あまりにも早い展開に彼も驚いていたが、絵を見ると「確かに吉田博のタッチやねえ」と言いつつ買ってくれた。こういうのをセレンディピティというのだろうか。

 しかし、悲しいかな加齢によりこの原稿を書くときには吉田博の名前が出てこなくなっており、ネット検索の助けを借りたのだった。

 

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 7月号


7月 30th, 2024 | Permalink

 よかばい堂、都城で8年ぶりの再訪を果たすの巻

 8年前の熊本地震の年に都城まで買い取りに行ったことがある。九州自動車道は寸断されており、やむなく東九州自動車道を使ったことを覚えている。古くて珍しい本が多く、遠征したことが報われる出張だった。本の所有者は90歳過ぎで何年か前に他界したそうで、そのお孫さんから依頼を受けたのだ。そのお爺さんは地元で校長をしていたらしく、仏教思想系の本が多かった。

 本の買い取りが終わったところで、依頼者である校長の孫が茶を飲んでいけと自宅に呼んでくれた。家は近所だという。お茶を飲みながら話を聞くと、彼の父親も校長を勤め上げ、祖父に輪をかけた本好きらしくさらに大量の蔵書があるという。それはぜひ見たいというと、十畳ほどの部屋に案内された。まさに汗牛充棟。ざっとみても1万冊はくだらなかった。

 「父はまだ90過ぎで存命ですが、いずれこの本も処分しなければならず、その時はまたよろしくお願いします」と言われた。

 さてそれから8年後の今年、その人から電話を受けたのである。よく覚えていてくれたものだ。

 「お久しぶりです、たしか8年前にお邪魔しました、あの時はおじいさまの本を買わせていただき、たしか御尊父は90過ぎでいらしたはずですが。え?104歳で今もご健在!それは素晴らしい」と8年ぶりの会話である。

 さて、先方さんはいよいよ1万冊の本の処分に入るから再訪してくれないかという。とはいえ都城は遠い。しかも、1万冊とはいえ使える本はさほど多くない。8年も前ではあるが一度見たから覚えている。教育指導法の本などはほとんど売れない。おそらく多くの教師が持っているからだろう。一般書店では見かけないが意外と多く売れていると思う。希少価値は小さい。

 全体の十分の一も買えるかどうかわかりませんよ、それでもいいですか、それに遠征費用がかかるのでお渡しできる金額も限られると思いますがかまいませんか、と伝えたが、それでも構わない、捨てる前にプロに見てもらえば心置きなく処分できると言う。

 そこまで言われたならば、いっそのこと仕事半分観光半分で行ってみるか、都城なんてそうそう行く機会があるところじゃないし、かみさん孝行のチャンスでもある。調べてみると、近くにはめったに脚を伸ばすこともない観光地、都井岬や飫肥があるではないか。

 というわけで行ってきました、都城。飫肥に泊まり、都井岬はもちろん鵜戸神宮も行ってみたが、どこも実に素晴らしかった。

 飫肥城のある日南市の城下町は古い街並みで、台湾からとおぼしき団体客や欧州系のカップルなど外国人も散見されたが、オーバーツーリズムというほどではなく、落ち着いた雰囲気だった。

 さて本業についてだが、8年前の記憶は意外にも間違っておらず、たしか「性教育」というコーナーがあってそこにはかなり俗っぽくて古本屋が喜びそうな本があったと記憶していたが、確かにその通りだった。

 やはり1万冊もあると、おおこれは、というような本があるものだ。1%あったとしても100冊はあるわけだから量は大事なのである。

 帰りに都城インター近くの道の駅に寄ったのだが、今まで見たどこの道の駅よりもオシャレな造りでおどろいた。

 

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 6月号


6月 30th, 2024 | Permalink

よかばい堂、銀行借入をするの巻

 古本屋のような零細な仕事をしていると銀行との付き合いはさほどない。ネット販売の売上金が振り込まれたり、公共料金やクレカ支払いの引き落としぐらいのものだ。サラリーマン時代に借りた住宅ローンも終わったので、数年前までは銀行とは特段の付き合いはなかった。

 それがコロナ禍の中で始まったコロナ融資から様子が変わった。何せ無担保無利子融資と言うのだから借りない手はなかった。中には借金自体が悪だという考えで無借金経営を貫く人もいるが、私はそうは考えず借りたのだった。当時は電話一本で、というのもあながち大袈裟な表現でなく、実に簡単に融資を受けることができた。

 すると、手持ちの資金が潤沢になる。潤沢だと今まで見向きもしなかった話が現実味を帯びて見えてくる。ひょっとしたら、自分でも買えるのではないか? いや今すぐだって買えるじゃないか! 

 もちろんここで言う「買う」は、クルマや消費財のことではない。そんなものは買っても単に消費するだけだ。そうではなく商売として、つまり収益を生むビジネスに投資をするという意味だ。

 こんな話が舞い込んできたのだった。サラリーマン時代の先輩が自分の保有する不動産を手放したいという。年もとったしゆっくりしたいので、現金化したいのだ。彼はその土地を駐車場として貸して一定の収入がある。念入りに計算すると数年で投資金額を回収できると見込め買うことにした。不動産投資というやつだ。

 念のために銀行に相談してみると、融資してくれるというので、新たにまた借り入れることにした。

 なるほどコロナ融資での金あまりというのはこういうことを言うのかと実感した次第だ。

 コロナ融資を受けて手元資金が潤沢だったからこそ先輩の話を本気で聞くことができたのだと、今にして思う。もしもあのとき無借金経営を貫き安定的ではあるが細々とした商売を続けていて、手元に資金がなかったら、先輩の話は聞き流していたにちがいない。

 古本の本業に投資するのが本筋ではないかとお叱りを受けそうだが、今の弊店の買い取りでは古本を仕入れるのに数百数千万を使うことはまずない。

 たしかに東京の古書組合が行う大きなオークションでは数百万数千万仕入れる古本屋もいる。しかし、売りさばく力や保管するスペースを持たない自分がその真似をすることはまだできない。それこそ不動産投資以上にリスキーだ。

 古本屋の一方で不動産賃貸も行なうのは多角化による事業の安定化だから、合理的な経営判断だと考えている。じっさい脱サラしてすぐにアパートを一軒購入した。開業したてで不安定な時期でもあったし、こうした工夫は欠かせない。

 古本屋といってもさまざまなタイプの人間がいる。この商売を始めた動機も千差万別だ。今では少ないが、昔は手軽に儲かるから参入してきた人もいたと聞く。なるべく楽がしたいからあまり働かず自分一人が食えればいいという人もいる。古本道(?)を究めたい求道者タイプもいる。

 私は会社員の息苦しさから逃れるようにしてこの商売にたどり着いた。もちろん本が好きだから選んだ道でもあるが、自分だけでなく家族を扶養するためでもあり、最初からビジネスとしてやり抜くつもりでいたので、事業の多角化は必然だと思っている。

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 5月号


5月 30th, 2024 | Permalink

 いまでも手帳を使っている人はどれくらいいるのだろうか? スマホでスケジュール管理をしているから手帳は不要だという人もいるだろう。わが家のカミさんなんぞは冷蔵庫に貼ったカレンダーでスケジュール管理をする強者だ。

 私は長いこと手帳を使ってきていたが、ここ数年スマホのカレンダーでスケジュール管理をするようになり、手帳に白いページが増えてきたので思い切って買うのをやめてみた。

 たしかにスケジュールの管理だけでいえば、スマホは便利だ。なにしろ手帳を持ち歩く必要がない。スケジュールを忘れないようにアラームを鳴らすこともできるし、過去の書き込みを検索するのも容易だ。

 ところが、である。過去の事歴を思い起こそうとすると、これが案外不便なのだ。手帳にはスケジュール管理の面とは別に、日記または記録という面がある。ピンポイントで一つの出来事を探し出すにはスマホは便利だが、過去の出来事の有機的な繋がりを見ようとすると掴みにくいと感じる。デジタル画面をスワイプしたりスクロールする行為には身体的な実感が伴わないから何年さかのぼったかわかりにくい。これは、デジタル機器へのリテラシーの低さの問題なのだろうか。じつはそれだけではないのではないか、という気がしているのだ。

 私は2010年から15年ほど「ほぼ日手帳」という糸井重里プロデュースの手帳を使ってきた。1日1ページの日記形式で、1冊で1年分。文庫本と同じ大きさだ。

 毎年巻末にその年の個人的な10大ニュースを書いておき、後から記憶を辿る際の手がかりとしている。

 ここ2年ほど、価格が高いことと糸井重里に違和感を覚えたことでこの手帳をやめていたのだが、また戻ってきてしまった。というのも紙質・書き味などの総合点で悔しいが他に代わるものは見つからないのだ。同一サイズのものがずらりと書棚に10数冊並ぶ快感も捨てがたい。

 さて、その巻末の10大ニュースを「脳を活性化する自分史年表」(藤田敬治)という本に転記するのだが、こうすると1冊で自分の半生が見渡せるようになる。この本はその年の重大事件や世相の横に個人の記録が書けるので、記憶を辿るのに重宝している。

 手帳の話に戻る。過去の出来事を調べるにあたって、一冊ごとに手帳を開くことで、身体的・心理的に区切りというか、記憶を辿る手助けになっている感覚がある。デジタルのカレンダーだとひたすらスクロールするだけなので、年数を遡った実感が伴なわず隔靴搔痒の感が拭えない。

 じつはアナログレコードの再評価が話題になっているのも、これと同じ構造があるのではないかと睨んでいる。ジャケットからレコード盤を取り出しターンテーブルにのせ針を落とす。この一連の操作が音楽を聴くための小さなイニシエーションになっている気がする。音楽も遡れば祭儀に発しているだろうから、傾聴にあたり儀礼を通過するのはありうべきことにも思えてくる。というと大げさだが、日常を離れて音楽を聴くモードに入るための区切りを付けるには、ちょっとした作業が有効なのだろう。

 過去の記憶を呼び起こし自分の歴史を組み立てることも、ある種日常からの離脱だから、デジタル画面を延々とスワイプするよりも手帳を一冊づつ開く方が「テンションが上がる」気がするのだが、どうだろう。

 

 

 

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 4月号


4月 30th, 2024 | Permalink

東京出張の巻

 全古書連(全国古書籍賞組合連合会)という組織がある。全国の古本屋がほぼ都道府県別につくっている組合の連合体である。その総会に組合長に代わって代理出席した。

 総会自体はよくあるパターンできわめて事務的に行われる。サラリーマン時代の労働組合の総会を思い出した。進行のしかたはほとんど同じだ。議長を選出し議事進行役を決めたら、1号議案、2号議案と進めていく。決算報告と予算案の議決というのも同じだ。最後の全国から集まった全員の集合写真。これも労働組合の総会と同じ。

 驚いたのは懇親会だ。場所を移して向島へと赴く。なんと都バスを2台チャーターし、それに分乗して一路向島へ。車窓から見る薄暮の都心の風景が美しい。御茶ノ水から秋葉原・上野・浅草橋そして吾妻橋を渡り墨田区へとはいると、ライトアップされたスカイツリーがいやでも目に入る。そうこうするうちに、低い建物の多い墨田区の一角にある料亭に到着。

 正直言って向島の料亭とは聞いてはいたが、なにしろ古本屋の集まりだから大した予算でもないし、単に食事をするだけだろうと思っていた。

 ところがどっこい、嬉しい意味で予想を裏切られ、ステージが設えられた大宴会場にはいると着物姿の綺麗どころが続々と現れて席の合間を縫ってお酌にまわる。一同いい色になったあたりで、幇間(たいこもち)が司会役をつとめ、三味線お姉さんと芸妓がステージに登場し舞を披露。その後も幇間芸や客と一緒の御座敷遊び(といっても他愛のないもの)で、楽しい時間を過ごした。ちなみに言うと、われわれ古本屋とはいっても、数は少ないが女性の参加者もいるから、昭和の頃に男だけの集まりで「芸者を揚げてどんちゃん騒ぎ」というのとはずいぶん違っていると思う。

 東京で10年以上サラリーマン生活をしてきたが、正直に言ってこんな経験はしたことがなかった。向島にこんな場所が残っているとは知らなかったが、まだ存在していることを知り嬉しくさえ感じた。

 年に数回は東京にいくのだが、もう新しい名所やビルには興味が持てなくなった。というよりも、むしろ嫌悪感すら感じるほどだ。年のせいだろう。東京五輪以降変わってしまった東京を嘆いた小林信彦や松本隆の気持ちもこんなだろうか。失われた東京を嘆く系譜は永井荷風や山本夏彦あたりにもあったかもしれない。自分をその系譜になぞらえるわけでは無論ないが、年を取ると自分の知っているものに親しみを感じるのは当然だろうと思えてくる。

 だからむしろ、渋谷・新宿・原宿あたりよりも、古いものが残っている墨田区や台東区あたりの方がしっくり来る。都心といっても神田や銀座が関の山。青山や六本木はおそろしくて行く気がしない。

 さて、お座敷遊びの翌日は好天に恵まれ本の街神保町を散策。自分は古本屋ではあるのだが、こうやってじっくりと見て回るのは初めてだ。きっと自分で店を始めたからだろう、同業者の目で自分の店の参考になりそうだ、と思いながら見てしまう。

 漫画・芸能・音楽・雑誌などのサブカルチャーを扱う店が支店を出していたりし、活況を呈しているようだ。その一方で洋書の老舗などは、立派な店の一階をカフェと絵本屋にしてしまっていたが、セレブ風のマダムが多く、これはこれでうまく転換できているように見えた。

  

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 3月号


3月 30th, 2024 | Permalink

 本の処分に困っているという人は多い。そういう電話もよく受けるが、本を集めた本人が断捨離で手放したいという場合はかなり神経を使う。売るとは言ってはみたものの、蔵書に未練たらたらなのだ。いわゆる「手離れが悪い」というやつである。

 もちろんその気持ちもわかる。長年かけて集めた本だから、手放すのが忍びないのは自然な感情だろう。

 しかし、処分したい、しなければならないと思っているのもまた当の本人なのである。

 古本屋は、この未練たらたらの蔵書をその本人から買わねばならない。「手放さなければならない」という当為と「手放したくない」という感情の板挟みで悶え苦しんでいる人から本を買うのだから簡単には話は進まない。

 九州のとある市から電話があり、死んだ父が趣味で集めた膨大な鉄道模型のコレクションとそれにまつわる鉄道関係の本を処分したい、という。福岡からは距離があるし、こちらは急がないのでいつでもいいから、こちらに来るときに寄って欲しいという内容だった。その言葉を真に受けて数ヶ月間放置してしまい、いよいよ行ってみようかと電話をかけたところ、なんとその膨大なコレクションはとあるNPO法人にぜんぶ無料で寄贈したとのことだった。

 まあ、しょうがない。先方も余計な荷物を早く処分したかったのだろう。モタモタしていた私が悪いのだ。それにしても無料で寄贈したとはなんたることだろう。私が買ったなら数十万円、いや百万円以上支払ったにちがいない。そう思ったのは、後日実際に寄贈せずに残してあった鉄道模型のコレクションの一部を見たときだ。あまりにも素晴らしい出来映えだったので、これほどのものを含むコレクションなら相当なものだったに違いないとすぐにわかった。

 ところが電話はそれで終わらず「実は私の蔵書も処分したいので、こちらに来るなら寄ってもらえないか」という。その町には別件で行くことは決まっていたし、どうせ行くならついでに寄ればいいだけなので、お引き受けした。

 さて福岡から2時間以上離れたその町に行き、彼の蔵書を見た瞬間、買えるものはほとんどないとわかり、言葉を選びながらそう伝えた。しかし彼にとってはこれが予想外だったらしく、今回は売るのをやめておくと言われ、一度は辞した。しかし1時間もせずにまた携帯が鳴り、まだ近くにいるなら売りたいからもう一度来てくれないかという。二転三転し振り回されたあげく、わずかな金額で蔵書を買ったうえ、価値のない本も捨てるに忍びないということで引き取った。

 何が言いたいのかというと、自分が集めたものでなければ100万円の価値があってもタダで寄贈してしまうのに、自分の本だとほとんど市場価値がないものでもなかなか手放せなくて七転八倒してしまうということだ。

 逆にこちらの立場から言えば、自分の蔵書を売るという人から買うときは要注意で、遺族から買うときは買いやすいということになる。

 じつはこんなことは経験上痛いほど知り尽くしているのだ。このコラムでも何度かそう書いているはずだ。それなのに、たまにこんなことになってしまうのである。まあ実害がさほどないのが救いではある。  

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 2月号


2月 29th, 2024 | Permalink

よかばい堂、リアル店舗顧客百態

 古本好きというのは一定数いるものである。店をやるとそれが可視化されて興味深い。ネット商売だと、どこの誰が買ってくれているのか顔も知らないが、リアル店舗ならば、顔もわかるしときには雑談を交わすこともある。商売の醍醐味とはこれなのかもしれない、などと早くも調子のいい発言をしてしまった。とにもかくにも、サラリーマン家庭で育ち、自分もサラリーマンを21年経験し、脱サラ後もネット商売を19年。接客ということをしたことがなかったので、実に新鮮だ。

 さっそくリピーター客もできた。ほぼ毎日来店し一二冊買ってくれる。最初は数学の本ばかりだったが、いまでは人文系の本も買うようになって来た。

 もうひとりは、年季の入った古本好きの年金生活者で、私の知らない昔の福岡の古本屋事情にくわしい。話好きで店の中ではずっと話し続けている。独り住いで話す相手が居ないからかもしれない。

 別の年金生活者は時折り現れては昔の雑誌や漫画などを買ってくれる。閉店した文具屋で仕入れたばかりで値付けしていないビックリマンシールのパチモノを目ざとく見つけ、「これいくらですか?」と聞く。まだ値付けしてないというと、付けたら教えて欲しいと言う。よく見るとそのシール5種類もある。こういう人はコンプリートしたがるから、まとめ買いをしやすいように少し安く価格設定する。後日ご来店で5種類あるもの全てを買っていった。

 古本好きというと、オタクっぽい人や学者や研究者のような人を思い浮かべるかもしれないが、必ずしもそうでもない。特に若い人にはファッションの延長として昭和の風俗に興味をもっているような、比較的ファッションに対して感度が高い人も目立つ。

 先日は古めかしいバイクでやってきた青年が何冊もまとめ買いをしてくれた。「渋いバイクですね」と言うと、「そう見えますか、うれしいな。実はこれスーパーカブなんですよ。一生懸命汚しました」という。なるほどダメージジーンズみたいなものなのか、あえてビンテージっぽく仕上げているのだ。

 後日軽トラの荷台に別のバイクを載せて再度のご来店。今日はクルマなのでたくさん買える、と言いつつ前回の倍ほど買ってくれた。その中の1冊が小田実の『何でも見てやろう』のオリジナル版。カバーと帯もついている。

 フルブライト奨学金を受けてアメリカ留学をした著者が、留学後に帰国用航空券と数百ドルを元手に世界旅行をした経験を書いた同書は、1958年に初版が出たベストセラー。いまも講談社文庫で読めるいわば「古典」である。

 その本のオリジナル版を若い人が買ってくれるとこちらもうれしい。テキスト自体はいまでも文庫で読むことはできるけど、当時の姿で残っている本には時代の空気を伝えてくれる別の何かが詰まっているのではないか。そう思ってちょっと不安ではあったが店に置いてみたら、意が通じたのか、買ってもらえたのである。じっさい彼は文庫本はすでに持っていると言っていた。こういう交流は楽しいものだ。

 先日は古い洋館から買い取ってきたちょっとエロティックな古い洋書をためしに店に置いてみた。本来はネットで販売する高めの本なのだが、もしやと思い店に置いてみたところ、狙い的中。カウンターに並べていたら、例の得意客が2冊とも買ってくれた。いやあ、まさか2冊とも買ってくれるとは思わなかったというと、ばかにしちゃだめですよー、こういう良い本をもっと置いてくださいよー、とうれしい言葉でたしなめられた。

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 1月号


1月 30th, 2024 | Permalink

 ついに南区寺塚にリアル店舗をオープンした! 店舗名は「古本よかばい堂アウトレット店」。とはいっても華々しいオープニングイベントはなく、開店準備しつつ値付けを終えた棚から順次公開してきただけで、年初から何とかそれっぽくなったから開店と名乗っているだけだ。

 店を持つと客と話ができて愉しい。いろんな客がいろんな話をしていく。これは案外コラムのネタの宝庫となりそうだ。

 さて今回は棚づくりをしていて見つけたネタである。話をする前に店舗の概要について触れておこう。

 わがアウトレット店は、ネットで売りづらい安価な本をゆくゆくは無人店舗化して売ろうという野心的(?)な試みの店だ。売る本の原価はほぼゼロで、主な経費は家賃のみという極めて特殊な形態だ。そのからくりについて触れてみよう。

 ネットで20年近く商売を続けてきたよかばい堂だが、新聞広告を続けてきた甲斐あってか、同業他店より買い取りが多いのが特色のひとつである。だが、仕入れた本のすべてが商品になる訳ではない。特にネットで売る場合は出品や梱包・発送に手間がかかるので、安価な本はネット売りになじまず、やむなく手放すことになる。今までは同業者に極めて安く卸売りしてきた。

 しかしそんな本でも催事に出せば数百円で売れることは経験的に知っていた。適切な売場さえあれば商品となるのだ。

 そこでこの〈ほとんど原価のかからない本〉を売る店を作ることにした。どうせやるなら新しい試みとして無人店にしてしまえばどうだろう。監視カメラやセルフレジ などテクノロジーを活用すれば可能だろう。人件費をかけない店なら家賃プラスアルファが回収できれば成立するはずだ。古本なんて盗んでも食えるわけじゃなし、上記の理由で店に置くのは安い本ばかりで転売価値もほぼないから盗む奴なんかいやしないだろう、というわけだ。

 さて、思惑通りにことが運ぶかどうかは今後の展開次第。

 話を戻そう。棚の準備をしていて、ふとした思いつきで古い本を発行年ごとに並べてみたところ、これが妙な効果を生んで面白い。並べたのは主に戦中から戦後にかけての本。戦後は昭和20年から1年ごとに並べ見出しをつけた。

 どう面白いかというと、戦後の焼け跡から高度成長期に向けて本の装丁やタイトルの変化がみて取れること。弊店にある古い本を並べただけだから、決して網羅的だったり歴史的に価値があるものばかりではない。たまたま手元にあったからという本ばかりだ。

 たとえばここに『日本技術の母胎』という小冊子がある。B6版173ページの簡素な本だが、奥付をみると発行年が昭和20年10月10日とある。つまり敗戦から2ヶ月経ずに出ている。米軍の爆撃で日本の多くの都市が焦土化し、街中に遺体がごろごろしていたのではないか。都市では戦災孤児が街に溢れ、かっぱらいや物乞いやモク拾いをしていた頃かと思うと、何やら感慨深いものがある。中に目をやると写真があり、旧同盟国のドイツのフォルクスワーゲンやハーケンクロイツ、そう、中身は戦中のものだ。

 そんな敗戦直後から高度成長期にかけて、世相の変遷が一望できて興味深い棚が出来上がったわけである。

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