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月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 2026年4月号

4月 1st, 2026 | Permalink

 市内の老人ホームにお住まいの方より電話。クラシックのCDを売りたいという。あまり期待できないが、断る理由を考えるよりも近い場所だし行ってみることにする。
 受付を通ると立派なホームであることが感じられる。エレベーターで上がって部屋に入ると背の高いご老人が出迎えてくれた。
「いま子供が帰ってきていて、断捨離しようという話になり、彼がお宅のお店を探して連絡してくれたんですよ」
 小生と同年輩と思しき息子さんと、その奥方と思しき女性がダイニングテーブルに座っている。なるほど、これが親元に帰ってきてよかばい堂をネットで見つけてくれた息子さんなのか、と思いつつ目礼を交わす。
 部屋の奥にテレビとソファがあり、その前の小さなテーブルにはCDボックスが積み上がっている。見たことのないものばかりだ。海外のものらしい。モーツァルトの「Mozart Complete Edition」は170枚入り。バッハやヘンデルの大型CDボックスもある。いずれも海外製だ。どうやらこのご老人は海外生活が長かったらしい。そうこうすると、ダイニングテーブルから英語で話す声が聞こえる。声の主はご老人である。どうやらご子息の妻と話しているようだ。なるほど、長い海外生活の結果息子はその地で育ち、妻を娶ったのであろうか。
 さて、査定が終わり金額を伝えると一発で了承いただき商談成立。古物商法にのっとり、書類に氏名年齢等を書いてもらうのだが、年齢を見て驚いた。なんと99歳。よかばい堂史上最高齢の取引相手だ。
 電話で話した時も、近隣の道路の説明もきわめて明快かつ気遣いのある説明だった。買い取ったCDを箱に詰めて運び出そうとすると、さっと椅子から立ち上がり速足で玄関に向かいドアを開けてくれた。両手がふさがっている当方を気遣ってのことだ。なぜか息子夫婦はダイニングテーブルで談笑にふけっているのに、である。
 どう見てもタダものではないとしか思えない。帰ってから気になってご老人の名前をネット検索してみた。すると「案の定、海外の大学の名誉教授として名前が出ていた。さらには女性向けの雑誌のインタビュー記事も見つかった。なんと旧制中学時代の修猷館を卒業していると、その記事で知った。個人情報が特定されないように、これ以上詳細に書くことは控えておこう。
 さらにブログも書いておられる。読んでみたが、内容も論旨もはっきりしているし読みやすい。こんな99歳なら年を取るのも悪くないな、というかぜひともあやかりたいと思い、その後会う人ごとにこの話をしている。このコラムにも書いてしまった。ほんの数10分の接触で、わずか数回言葉を交わしただけなのに、これほどの影響を受けてしまうのだから、その影響力たるやすごいものがある。
 いや、ほんと、元気だったら何歳になっても悪くないものだ。 

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 2026年3月号

3月 1st, 2026 | Permalink

 Kさんはレコードコレクター、1万枚以上のコレクションを持っているらしい。歩くことが好きで、というか苦にならないらしく毎日数キロにわたって歩いている。自宅から半径数キロが彼の行動範囲で、安い食材を選んで買い歩いている。

 食材の調達だけでなく、趣味のレコードもブックオフやハードオフといった中古屋をまわってレコードを渉猟しコレクションを充実させてきた。

 その彼が400円均一で産地直送(土がついてるわけじゃないが、クリーニングしてない)のLPが置いてあるよかばい堂無人店舗を見つけたのは自然ななりゆきだった。そのうち彼は一日二回の散歩で朝夕ともよかばい堂に立ち寄って、レコードとCDの棚を見るのが日課となった。

 Kさんはよかばい堂店主と同い年。親譲りの家に一人で住み、レコードに囲まれて暮らしている。旧帝国大学を卒業したものの生来の学校嫌いのせいか就職はせず、フリーターのはしりだった。洋楽が好きで誰よりも詳しかった彼は自然と音楽関係で仕事を見つけてきた。一時は放送局のレコード室の主のような存在となり、番組の選曲を任されたりもしたという。

 彼は日に二度もよかばい堂に通い詰めるうちに、店主の雑駁な棚づくりに業を煮やしたのか、自分で棚を整理しようと決意する。無人店舗のよかばい堂だが、たまに店に顔を出す店主を捕まえて「CD、ジャンルごとに分けてもいいですか?」と尋ねて来た。

 よかばい堂店主としては断る理由などさらさらない。ウエルカムな提案だ。「そりゃもちろん、ありがたいお話ですよ。ぜひお願いします。ムリがない範囲でやっていただければ大変助かります」「自分もその方が見やすくなるから、あくまで趣味の範囲でやります」ということで、彼の作業が始まった。

 正社員にはならずフリーターで過ごしてきたとはいえ、さすがに旧帝大の理系出身の彼は、やることなすこと緻密かつ几帳面。CDの棚はみるみる整理され、ジャズ、クラシック、邦楽などジャンル別に並べ替えられさらに五十音順に整理されただけでなく、彼の整理はついにレコードにも及び、いまやどちらも整然とならんでいる。

 

 秋口になり妻と4日間の旅行に行くことになった。さてその間は店をどうするか。日中は無人でも構わないが朝夕は店の鍵の開け閉めが必要だ。そうだ、Kさんに聞いてみよう。彼は一日に二回よかばい堂によってくれる。その時に開け閉めしてもらえないだろうか。開店時間は店主がやるときだって正確に決めているわけではない。自分の都合で早かったり遅かったりするのだから、Kさんの散歩時間に合わせて多少前後してもかまわない。そこで彼に聞いてみることにした。

「Kさん、いまでも毎日朝夕このあたりを散歩されてるんですか?」

「ええ、ほぼ毎日このへんには来ますよ。ドラッグストア〇〇は豆腐が安いし、あっちのスーパーは野菜が安いし、そこはアジフライが〇円だし・・」

「じつはご相談なんですが、その散歩のついでに店の鍵の開け閉めをお願いできないでしょうか?いえ時間は適当で構いません。Kさんの都合で結構です」

「ああ、全然かまいませんよ。何時に通るかは日によって変わりますが」

 ありがたいことに彼のおかげで店は休むことなく続けられた。彼は固辞したが、仕事としてお願いするのだからと、ギャラを払ったのはもちろんである。

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 2026年2月号

2月 1st, 2026 | Permalink

  テレビをつけると映画をやっている。見るともなしに眺めていると、なぜだか目を離せなくなってしまい、最後まで見てしまうことがある。女優の美しさに目を奪われることももちろんあるが、そればかりではない。
 たとえば「バクダッドカフェ」という映画。特段の美男美女は出ず、豪華絢爛な舞台装置があるわけではない。派手なアクションもないが、映像の密度が高いといおうか、映っているものの色・配置・演技・表情などが、テレビドラマとは段違いの密度を持っていて、一瞥しただけでその映像に引き込まれてしまう。
 ストーリーを追うのもひとつの楽しみ方だが、映像そのものが快感であるような映像体験があるように、文章でも同じことがある。ふとめくったページに書かれた片言を読んだだけで、引き込まれてしまうような経験。
 古本屋は仕事がら、ときとして本をぱらぱらめくって中を覗く。読むというほどではなく、ちょっとかじるぐらいだが、そうやって本に引き込まれることがある。
 先月紹介した関川夏央の『本よみの虫干し』もそうだったった。そのせいで、柄にもなく川端康成を読んだのは前回語った通り。
 この本は「日本の近代文学再読」と銘打ってさまざまな明治以降の小説を取り上げている。森鴎外の『阿部一族』もあるが、私は文語体が無性に読みたかったので「舞姫」を読んでみることにした。
「石炭をばはや積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱灯の光の晴れがましきも徒なり」。
 高校の現国でやったアレである。あのときは面白くもなんともなかったが今はすこしちがう。船の中等室ということは、一等船室ではなく二等ぐらいなのだろう。熾熱灯といのは何だかわからないが、明治の初期だから、ガスだか油だかを使う灯火なのだろう。今から見ればアンティークな意匠がほどこされているにちがいない、などと思いを巡らす。書き手の意向を汲むような、こんな読み方ができるようになったのが年の功だとしたら、年をとるのも悪くない。
 以前は速読こそ命と、早く読むことに価値を見出していたが、今回はあえてゆっくりと読もうと、鉛筆片手に線を引きつつ読んだ。現国のテストのようだ。リズムを妨げぬよう線は引くだけにし、大意がつかめたところで線引き部分をスマホで調べる。
 そうやって読むと雅文体と言われる理由がわかるだけでなく、その美しさを味わっている自分に驚く。へえ、オレにも鴎外の良さが分かるんだ。
 今さらだがスマホは便利だ。たとえば「踟蹰」という単語が出てくる。まず読み方がわからない。そこで「足偏に知」と検索すると、「「足」へんに「知」と書く漢字は「踟」(ち)で、「ためらう」「足どり」などの意味を持ち、「踟蹰(ちちゅう)」のように使われ」といきなり結論が出てくる。
 そのちちゅうを調べると「歩みを進めるのをためらい、その場に立ち止まること、または心の中で迷い、ためらうこと」だとわかる。この年になっても新しい言葉を知るのは嬉しいものだ。
 とうわけで、柄にもなく文豪の本を立て続けに読んでみたのだが、まさに食わず嫌いであったことが判明。日本語の世界の広さを感じたり、その面白さや美しさに感銘を受けたりしている。

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 2026年1月号

1月 1st, 2026 | Permalink

 川端康成の『雪国』を読んで驚いた。読み始めて数ページほどしたら、「エロい」と言っても差し支えない描写がでてくる。これはすごい。かなり露骨だ。だが中学高校ぐらいで読んでも意味がわからないだろう。ネットで検索してみると、「変態」「高校の時読んだがよくわからなかった」などの書き込みが散見される。

 この年になるまで川端康成は読んだことがなかった。思えばわが思春期はサブカルチャーを追うので忙しく、川端のようなメインカルチャーにまで手を伸ばす余裕はなかった。ビートルズから始まってポピュラーミュージック・歌謡曲・ラジオの深夜放送・テレビ番組・漫画など面白いものはいくらでもあった。読書傾向もそんな時代を反映し、五木寛之・野坂昭如・筒井康隆・寺山修司・星新一・片岡義男・大藪春彦などが守備範囲で、文学史に出てくるような文豪たちの小説は忌避していた。もっと言うと、漠然とした反抗心をもって避けていたといえるかもしれない。

 そういったサブカル人生を歩んできたせいで、この年になるまで川端の本を手に取ることはなかった。そんな老境の古本屋が仕入れた本を仕分けしていると、一冊の本が目に留まった。岩波新書『本よみの虫干し』関川夏央著。この著者は漫画の原作も書いている。『坊っちゃん」の時代』という漫画があった。あれは面白かった。『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか』というのも面白かったな。どちらかというとサブカルチャーに寄った作家だと認識していたが、その岩波新書のサブタイトルに「日本の近代文学再読」とある。ほう。無作為に開いた『立原道造詩集』の項に「『高原という植民地』のお話」といきなり出てくる。立原道造の詩集を読んだことはないが、勝手につくった彼のイメージにぴったりだ。

 「堀辰雄にならい、信州、ことに追分を愛した。おおくの詩がそこでつくられたが、注目すべきは、『野ばらの道』『サナトリウムの道』『水車の道』で展開する詩的物語の登場人物は、避暑にきた東京人と自分だけだということだ。/村と村人は点景にすぎず、農業のにおいはしない。『浮世離れ」とはそういう意味である。つまりは『高原という植民地』のお話なのである」

 もちろん関川はここで、立原道造の詩にそのまま感銘を受けているのではない。こう続ける。

「大正中期以降のとめどない大衆化の波に、「知識人」や「文学者」は、日本ではなく、欧州をおもわせはするが結局どこでもない場所、つまり大衆のいない場所を想定して逃避し、自己防衛しようとした」

「その気分は戦後にも受け継がれ、おもに流行歌のなかに息づいた。私は『ニューミュージック』こそその嫡子だったと思う」

 なるほど、こう読めば『立原道造詩集』も興味深く読めるだろう。目次を見ると、川端康成・有島武郎・武者小路実篤・志賀直哉・佐藤春夫など忌避してきた作家の名前がいくつも挙がっている。川端は『伊豆の踊子』が取り上げられているが、店の本棚にはあいにく見つからないので『雪国』を手にした、というところで話は冒頭に戻る。

 そう。関川の言うように「『文学鑑賞』の呪縛を脱し得た目で眺めた」ら、近代文学も楽しく読めそうだ。じっさい『雪国』に官能小説の側面があることも知った。

 というように、2冊の本に出会ったおかげで読書の幅が広がりそうだが、これも偶然手に取ったことで始まった。ネットではありえない本との出会いだ。

 

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 10月号

10月 30th, 2024 | Permalink

「ムードミュージック」は死語なのか?の巻

 

 ムードミュージックという音楽ジャンルをご存じだろうか?

 今や誰も見向きもしなくなった前世紀の遺物。そのネーミング自体もあまりのダサさからか、ある時期からイージーリスニングなどと呼ばれるようになった。デパートやホテルでBGMとして流れる、あの毒にも薬にもない音楽。

 さて、私の手元にはいま『僕らのヒットパレード』という本がある。片岡義男と小西康陽の共著だ。この親子ほどの年の離れたふたり(片岡は1939年生、小西は1959年生)が音楽について語り合うのだが、それがジャズでもロックでもなくなんとそのムードミュージックについてなのである。ポピュラー音楽を語らせれば当代きってのふたりが、よりによってムードミュージックについて語るのだ。面白くないはずがない。

 片岡義男という作家は、アメリカのポップカルチャーやその音楽に詳しい。小西康陽はピチカートファイブという音楽ユニットのリーダーでDJでもあり、オタク的にロックや歌謡曲はもちろんポップミュージック全般に極めて詳しい。その二人が好きな音楽について文を書き、対談したものをまとめた一冊だ。

 ロックンロール以前はシナトラやドリス・デイなどの歌手もいたが、ビッグバンドやオーケストラによるボーカルのないインストルメンタルもポピュラーミュージックの主流のひとつをなしていた。そこにアメリカの才能が集結していたと片岡は言う。おお、やはりそうなんだ、そりゃそうだよな、と中学生時代にムードミュージックにかぶれた黒歴史を持つ私は大いに同意する。コール・ポーター、ビクター・ヤング、ホーギー・カーマイケル、アーヴィング・バーリンなどの名前は、ロックンロール以前のヒット曲を作った才能たちだ。

 当時の我が家にもご多分に漏れずオーディオセットがあり、父のレコードのうちクラシックと邦楽を除くと、大半はロックンロール以前のムードミュージックや映画音楽だった。彼らは世代的にロックンロールに馴染みがなかったからだ。我々世代がラップになじまず、いまだにユーミン、サザンを聴いているのと同じか。

 身近にある音楽といえば学校の唱歌とテレビから流れてくる歌謡曲だけだった子どもが、音の出るステレオという機械が気になってレコードをかけてみて、新たな音楽の世界にめざめるというのは、当時よくある話だったのだろう。

 するとどうしても親の音楽の影響を受けてしまうのだが、これが年長の兄弟姉妹がいるとそちらの影響を受ける。わが世代だと、ビートルズはむろんピンクフロイドやレッドツェッペリンにイカれたマセガキは、だいたい兄か姉がいたように思う。兄姉がおらず直接親の影響を受けると、ひと世代上のムードミュージック、映画音楽、ラテン音楽などとなってしまうのだ。

 高校の頃、同級生に「キミ、ビートルズが好きなの?オレはクリームが最高だと思う。やっぱクラプトンだわ」なんていうヤツがいた。小馬鹿にした態度は気に食わないのだが、知らないミュージシャンの名前を出されると、自分には修業が足りないという気になった。そのうち勝手に「クラプトンなど>ビートルズ>その他洋楽(含むムードミュージック)>歌謡曲」といったポピュラー音楽のヒエラルキーを勝手に内面化していたのである。

 だがこの本には、そんな思い込みを軽妙に乗り越えていく力がある。いまさらながらありがたく啓蒙された。

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 9月号

9月 30th, 2024 | Permalink

 よかばい堂、セレンディピティを経験するの巻

 一度書いたことがあるが、福岡出身の作家のブレイディみかこさんの高校時代の恩師がF先生という方で、私も高校時代にその先生に習ったことがあった。

 先日店の売り物の『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』という彼女の著作を読んでたら、面白すぎてまさに巻措くを能わず、開店時間まで一気に半分読んでしまった。

 そういえばF先生のことがどっかに書かれてたなと思いネット検索してみると意外なことが判明した。F先生はなんと哲学者の滝沢克己のご子息であったとか。その人の本ならたしか店にも数冊あったはずだ、あとで探してみようと思い、後ろ髪をひかれつつ本を閉じ店に向かった。

 すると開店前から店の前でお待ちのお客様。あわてて開店して招き入れるとなんとその滝沢克己の本をお買い上げになった。なんたる偶然! もちろんそのお客さんとはその話をしましたよ。なぜ父親が滝沢なのにその息子であるF先生の苗字が違うのか、などなど。

 偶然の一致で思い出すことがもうひとつ。

 吉田博という福岡出身の木版画家がいる。戦前に活躍した風景画の版画家だ。久留米出身で修猷館を卒業している。恥ずかしながら私は知らなかったのだが、うちに本を買いに来た同級生のO君がその名前を教えてくれたのだった。戦前から日本よりも海外で活躍していたらしく、故ダイアナ妃も彼のファンだったとかで、背景に吉田博の版画をかけた彼女の写真がある。ご興味おありの方はネット検索してみてください。すぐに出てきます。

 その同級生から「吉田博の版画や絵が手に入ったら教えてね」と言われたので、その名を記憶に留めておかなければならないな、しかしすぐに忘れそうだなと思っていた矢先、なんと翌日にその吉田博の直筆画を買うことになったのだ。

 美術関係の本を売りたいという人の家に買い取りにいったら、大量の美術本とともに数枚の絵を見せられた。彼曰く「これは吉田博の直筆なんです」。なんたる偶然!きのう仕込んだばかりの知識がさっそく役に立った。先方は何と言っても美術関係で生計を立てておられる方。福岡の古本屋なら吉田博の名前ぐらい知っておいてしかるべきだときっと思っているにちがいない。前日までの私なら、「さあ」とか「へえ」とか言って誤魔化すしかなかったが、その日の私は違う。なんなって前日覚えたての知識がある。久留米出身、修猷館卒、ダイアナ妃のお気に入りなど、仕入れたての知識を披露したら、あながち無知な古本屋でもなさそうだと思ってくださったのだろう、こちらの見立てた金額で売ってくださった。

 翌日、意気揚々と同級生のO君に電話して「吉田博がさっそく手に入ったよ」と報告。あまりにも早い展開に彼も驚いていたが、絵を見ると「確かに吉田博のタッチやねえ」と言いつつ買ってくれた。こういうのをセレンディピティというのだろうか。

 しかし、悲しいかな加齢によりこの原稿を書くときには吉田博の名前が出てこなくなっており、ネット検索の助けを借りたのだった。

 

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 7月号

7月 30th, 2024 | Permalink

 よかばい堂、都城で8年ぶりの再訪を果たすの巻

 8年前の熊本地震の年に都城まで買い取りに行ったことがある。九州自動車道は寸断されており、やむなく東九州自動車道を使ったことを覚えている。古くて珍しい本が多く、遠征したことが報われる出張だった。本の所有者は90歳過ぎで何年か前に他界したそうで、そのお孫さんから依頼を受けたのだ。そのお爺さんは地元で校長をしていたらしく、仏教思想系の本が多かった。

 本の買い取りが終わったところで、依頼者である校長の孫が茶を飲んでいけと自宅に呼んでくれた。家は近所だという。お茶を飲みながら話を聞くと、彼の父親も校長を勤め上げ、祖父に輪をかけた本好きらしくさらに大量の蔵書があるという。それはぜひ見たいというと、十畳ほどの部屋に案内された。まさに汗牛充棟。ざっとみても1万冊はくだらなかった。

 「父はまだ90過ぎで存命ですが、いずれこの本も処分しなければならず、その時はまたよろしくお願いします」と言われた。

 さてそれから8年後の今年、その人から電話を受けたのである。よく覚えていてくれたものだ。

 「お久しぶりです、たしか8年前にお邪魔しました、あの時はおじいさまの本を買わせていただき、たしか御尊父は90過ぎでいらしたはずですが。え?104歳で今もご健在!それは素晴らしい」と8年ぶりの会話である。

 さて、先方さんはいよいよ1万冊の本の処分に入るから再訪してくれないかという。とはいえ都城は遠い。しかも、1万冊とはいえ使える本はさほど多くない。8年も前ではあるが一度見たから覚えている。教育指導法の本などはほとんど売れない。おそらく多くの教師が持っているからだろう。一般書店では見かけないが意外と多く売れていると思う。希少価値は小さい。

 全体の十分の一も買えるかどうかわかりませんよ、それでもいいですか、それに遠征費用がかかるのでお渡しできる金額も限られると思いますがかまいませんか、と伝えたが、それでも構わない、捨てる前にプロに見てもらえば心置きなく処分できると言う。

 そこまで言われたならば、いっそのこと仕事半分観光半分で行ってみるか、都城なんてそうそう行く機会があるところじゃないし、かみさん孝行のチャンスでもある。調べてみると、近くにはめったに脚を伸ばすこともない観光地、都井岬や飫肥があるではないか。

 というわけで行ってきました、都城。飫肥に泊まり、都井岬はもちろん鵜戸神宮も行ってみたが、どこも実に素晴らしかった。

 飫肥城のある日南市の城下町は古い街並みで、台湾からとおぼしき団体客や欧州系のカップルなど外国人も散見されたが、オーバーツーリズムというほどではなく、落ち着いた雰囲気だった。

 さて本業についてだが、8年前の記憶は意外にも間違っておらず、たしか「性教育」というコーナーがあってそこにはかなり俗っぽくて古本屋が喜びそうな本があったと記憶していたが、確かにその通りだった。

 やはり1万冊もあると、おおこれは、というような本があるものだ。1%あったとしても100冊はあるわけだから量は大事なのである。

 帰りに都城インター近くの道の駅に寄ったのだが、今まで見たどこの道の駅よりもオシャレな造りでおどろいた。

 

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 6月号

6月 30th, 2024 | Permalink

よかばい堂、銀行借入をするの巻

 古本屋のような零細な仕事をしていると銀行との付き合いはさほどない。ネット販売の売上金が振り込まれたり、公共料金やクレカ支払いの引き落としぐらいのものだ。サラリーマン時代に借りた住宅ローンも終わったので、数年前までは銀行とは特段の付き合いはなかった。

 それがコロナ禍の中で始まったコロナ融資から様子が変わった。何せ無担保無利子融資と言うのだから借りない手はなかった。中には借金自体が悪だという考えで無借金経営を貫く人もいるが、私はそうは考えず借りたのだった。当時は電話一本で、というのもあながち大袈裟な表現でなく、実に簡単に融資を受けることができた。

 すると、手持ちの資金が潤沢になる。潤沢だと今まで見向きもしなかった話が現実味を帯びて見えてくる。ひょっとしたら、自分でも買えるのではないか? いや今すぐだって買えるじゃないか! 

 もちろんここで言う「買う」は、クルマや消費財のことではない。そんなものは買っても単に消費するだけだ。そうではなく商売として、つまり収益を生むビジネスに投資をするという意味だ。

 こんな話が舞い込んできたのだった。サラリーマン時代の先輩が自分の保有する不動産を手放したいという。年もとったしゆっくりしたいので、現金化したいのだ。彼はその土地を駐車場として貸して一定の収入がある。念入りに計算すると数年で投資金額を回収できると見込め買うことにした。不動産投資というやつだ。

 念のために銀行に相談してみると、融資してくれるというので、新たにまた借り入れることにした。

 なるほどコロナ融資での金あまりというのはこういうことを言うのかと実感した次第だ。

 コロナ融資を受けて手元資金が潤沢だったからこそ先輩の話を本気で聞くことができたのだと、今にして思う。もしもあのとき無借金経営を貫き安定的ではあるが細々とした商売を続けていて、手元に資金がなかったら、先輩の話は聞き流していたにちがいない。

 古本の本業に投資するのが本筋ではないかとお叱りを受けそうだが、今の弊店の買い取りでは古本を仕入れるのに数百数千万を使うことはまずない。

 たしかに東京の古書組合が行う大きなオークションでは数百万数千万仕入れる古本屋もいる。しかし、売りさばく力や保管するスペースを持たない自分がその真似をすることはまだできない。それこそ不動産投資以上にリスキーだ。

 古本屋の一方で不動産賃貸も行なうのは多角化による事業の安定化だから、合理的な経営判断だと考えている。じっさい脱サラしてすぐにアパートを一軒購入した。開業したてで不安定な時期でもあったし、こうした工夫は欠かせない。

 古本屋といってもさまざまなタイプの人間がいる。この商売を始めた動機も千差万別だ。今では少ないが、昔は手軽に儲かるから参入してきた人もいたと聞く。なるべく楽がしたいからあまり働かず自分一人が食えればいいという人もいる。古本道(?)を究めたい求道者タイプもいる。

 私は会社員の息苦しさから逃れるようにしてこの商売にたどり着いた。もちろん本が好きだから選んだ道でもあるが、自分だけでなく家族を扶養するためでもあり、最初からビジネスとしてやり抜くつもりでいたので、事業の多角化は必然だと思っている。

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 2024年5月号

5月 30th, 2024 | Permalink

 手帳はアナログか?デジタルか?の巻

いまでも手帳を使っている人はどれくらいいるのだろうか? スマホでスケジュール管理をしているから手帳は不要だという人もいるだろう。わが家のカミさんなんぞは冷蔵庫に貼ったカレンダーでスケジュール管理をする強者だ。

 私は長いこと手帳を使ってきていたが、ここ数年スマホのカレンダーでスケジュール管理をするようになり、手帳に白いページが増えてきたので思い切って買うのをやめてみた。

 たしかにスケジュールの管理だけでいえば、スマホは便利だ。なにしろ手帳を持ち歩く必要がない。スケジュールを忘れないようにアラームを鳴らすこともできるし、過去の書き込みを検索するのも容易だ。

 ところが、である。過去の事歴を思い起こそうとすると、これが案外不便なのだ。手帳にはスケジュール管理の面とは別に、日記または記録という面がある。ピンポイントで一つの出来事を探し出すにはスマホは便利だが、過去の出来事の有機的な繋がりを見ようとすると掴みにくいと感じる。デジタル画面をスワイプしたりスクロールする行為には身体的な実感が伴わないから何年さかのぼったかわかりにくい。これは、デジタル機器へのリテラシーの低さの問題なのだろうか。じつはそれだけではないのではないか、という気がしているのだ。

 私は2010年から15年ほど「ほぼ日手帳」という糸井重里プロデュースの手帳を使ってきた。1日1ページの日記形式で、1冊で1年分。文庫本と同じ大きさだ。

 毎年巻末にその年の個人的な10大ニュースを書いておき、後から記憶を辿る際の手がかりとしている。

 ここ2年ほど、価格が高いことと糸井重里に違和感を覚えたことでこの手帳をやめていたのだが、また戻ってきてしまった。というのも紙質・書き味などの総合点で悔しいが他に代わるものは見つからないのだ。同一サイズのものがずらりと書棚に10数冊並ぶ快感も捨てがたい。

 さて、その巻末の10大ニュースを「脳を活性化する自分史年表」(藤田敬治)という本に転記するのだが、こうすると1冊で自分の半生が見渡せるようになる。この本はその年の重大事件や世相の横に個人の記録が書けるので、記憶を辿るのに重宝している。

 手帳の話に戻る。過去の出来事を調べるにあたって、一冊ごとに手帳を開くことで、身体的・心理的に区切りというか、記憶を辿る手助けになっている感覚がある。デジタルのカレンダーだとひたすらスクロールするだけなので、年数を遡った実感が伴なわず隔靴搔痒の感が拭えない。

 じつはアナログレコードの再評価が話題になっているのも、これと同じ構造があるのではないかと睨んでいる。ジャケットからレコード盤を取り出しターンテーブルにのせ針を落とす。この一連の操作が音楽を聴くための小さなイニシエーションになっている気がする。音楽も遡れば祭儀に発しているだろうから、傾聴にあたり儀礼を通過するのはありうべきことにも思えてくる。というと大げさだが、日常を離れて音楽を聴くモードに入るための区切りを付けるには、ちょっとした作業が有効なのだろう。

 過去の記憶を呼び起こし自分の歴史を組み立てることも、ある種日常からの離脱だから、デジタル画面を延々とスワイプするよりも手帳を一冊づつ開く方が「テンションが上がる」気がするのだが、どうだろう。

 

 

 

月刊フォーNET 連載コラム 「ネット古本屋のつぶやき」 4月号

4月 30th, 2024 | Permalink

東京出張の巻

 全古書連(全国古書籍賞組合連合会)という組織がある。全国の古本屋がほぼ都道府県別につくっている組合の連合体である。その総会に組合長に代わって代理出席した。

 総会自体はよくあるパターンできわめて事務的に行われる。サラリーマン時代の労働組合の総会を思い出した。進行のしかたはほとんど同じだ。議長を選出し議事進行役を決めたら、1号議案、2号議案と進めていく。決算報告と予算案の議決というのも同じだ。最後の全国から集まった全員の集合写真。これも労働組合の総会と同じ。

 驚いたのは懇親会だ。場所を移して向島へと赴く。なんと都バスを2台チャーターし、それに分乗して一路向島へ。車窓から見る薄暮の都心の風景が美しい。御茶ノ水から秋葉原・上野・浅草橋そして吾妻橋を渡り墨田区へとはいると、ライトアップされたスカイツリーがいやでも目に入る。そうこうするうちに、低い建物の多い墨田区の一角にある料亭に到着。

 正直言って向島の料亭とは聞いてはいたが、なにしろ古本屋の集まりだから大した予算でもないし、単に食事をするだけだろうと思っていた。

 ところがどっこい、嬉しい意味で予想を裏切られ、ステージが設えられた大宴会場にはいると着物姿の綺麗どころが続々と現れて席の合間を縫ってお酌にまわる。一同いい色になったあたりで、幇間(たいこもち)が司会役をつとめ、三味線お姉さんと芸妓がステージに登場し舞を披露。その後も幇間芸や客と一緒の御座敷遊び(といっても他愛のないもの)で、楽しい時間を過ごした。ちなみに言うと、われわれ古本屋とはいっても、数は少ないが女性の参加者もいるから、昭和の頃に男だけの集まりで「芸者を揚げてどんちゃん騒ぎ」というのとはずいぶん違っていると思う。

 東京で10年以上サラリーマン生活をしてきたが、正直に言ってこんな経験はしたことがなかった。向島にこんな場所が残っているとは知らなかったが、まだ存在していることを知り嬉しくさえ感じた。

 年に数回は東京にいくのだが、もう新しい名所やビルには興味が持てなくなった。というよりも、むしろ嫌悪感すら感じるほどだ。年のせいだろう。東京五輪以降変わってしまった東京を嘆いた小林信彦や松本隆の気持ちもこんなだろうか。失われた東京を嘆く系譜は永井荷風や山本夏彦あたりにもあったかもしれない。自分をその系譜になぞらえるわけでは無論ないが、年を取ると自分の知っているものに親しみを感じるのは当然だろうと思えてくる。

 だからむしろ、渋谷・新宿・原宿あたりよりも、古いものが残っている墨田区や台東区あたりの方がしっくり来る。都心といっても神田や銀座が関の山。青山や六本木はおそろしくて行く気がしない。

 さて、お座敷遊びの翌日は好天に恵まれ本の街神保町を散策。自分は古本屋ではあるのだが、こうやってじっくりと見て回るのは初めてだ。きっと自分で店を始めたからだろう、同業者の目で自分の店の参考になりそうだ、と思いながら見てしまう。

 漫画・芸能・音楽・雑誌などのサブカルチャーを扱う店が支店を出していたりし、活況を呈しているようだ。その一方で洋書の老舗などは、立派な店の一階をカフェと絵本屋にしてしまっていたが、セレブ風のマダムが多く、これはこれでうまく転換できているように見えた。

  

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