川端康成の『雪国』を読んで驚いた。読み始めて数ページほどしたら、「エロい」と言っても差し支えない描写がでてくる。これはすごい。かなり露骨だ。だが中学高校ぐらいで読んでも意味がわからないだろう。ネットで検索してみると、「変態」「高校の時読んだがよくわからなかった」などの書き込みが散見される。
この年になるまで川端康成は読んだことがなかった。思えばわが思春期はサブカルチャーを追うので忙しく、川端のようなメインカルチャーにまで手を伸ばす余裕はなかった。ビートルズから始まってポピュラーミュージック・歌謡曲・ラジオの深夜放送・テレビ番組・漫画など面白いものはいくらでもあった。読書傾向もそんな時代を反映し、五木寛之・野坂昭如・筒井康隆・寺山修司・星新一・片岡義男・大藪春彦などが守備範囲で、文学史に出てくるような文豪たちの小説は忌避していた。もっと言うと、漠然とした反抗心をもって避けていたといえるかもしれない。
そういったサブカル人生を歩んできたせいで、この年になるまで川端の本を手に取ることはなかった。そんな老境の古本屋が仕入れた本を仕分けしていると、一冊の本が目に留まった。岩波新書『本よみの虫干し』関川夏央著。この著者は漫画の原作も書いている。『坊っちゃん」の時代』という漫画があった。あれは面白かった。『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか』というのも面白かったな。どちらかというとサブカルチャーに寄った作家だと認識していたが、その岩波新書のサブタイトルに「日本の近代文学再読」とある。ほう。無作為に開いた『立原道造詩集』の項に「『高原という植民地』のお話」といきなり出てくる。立原道造の詩集を読んだことはないが、勝手につくった彼のイメージにぴったりだ。
「堀辰雄にならい、信州、ことに追分を愛した。おおくの詩がそこでつくられたが、注目すべきは、『野ばらの道』『サナトリウムの道』『水車の道』で展開する詩的物語の登場人物は、避暑にきた東京人と自分だけだということだ。/村と村人は点景にすぎず、農業のにおいはしない。『浮世離れ」とはそういう意味である。つまりは『高原という植民地』のお話なのである」
もちろん関川はここで、立原道造の詩にそのまま感銘を受けているのではない。こう続ける。
「大正中期以降のとめどない大衆化の波に、「知識人」や「文学者」は、日本ではなく、欧州をおもわせはするが結局どこでもない場所、つまり大衆のいない場所を想定して逃避し、自己防衛しようとした」
「その気分は戦後にも受け継がれ、おもに流行歌のなかに息づいた。私は『ニューミュージック』こそその嫡子だったと思う」
なるほど、こう読めば『立原道造詩集』も興味深く読めるだろう。目次を見ると、川端康成・有島武郎・武者小路実篤・志賀直哉・佐藤春夫など忌避してきた作家の名前がいくつも挙がっている。川端は『伊豆の踊子』が取り上げられているが、店の本棚にはあいにく見つからないので『雪国』を手にした、というところで話は冒頭に戻る。
そう。関川の言うように「『文学鑑賞』の呪縛を脱し得た目で眺めた」ら、近代文学も楽しく読めそうだ。じっさい『雪国』に官能小説の側面があることも知った。
というように、2冊の本に出会ったおかげで読書の幅が広がりそうだが、これも偶然手に取ったことで始まった。ネットではありえない本との出会いだ。



